愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

人の意見を聞きたくないとき

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真面目で純粋なタイプにありがち?

私は人の話を真剣に聞いてしまう傾向がある。

だからこそ、それが極まって、最近では人の話は聞きたくない、というのが強い(笑)

そもそも、宗教的なヨガの瞑想に思い入れが強く継続していたことも、私のこうした性質がとても大きかったように思う。

私がもし、そこの教えにしっかり染まっている人たちの言葉を右から左へ聞き流せるタイプであれば、十数年もはまりきってやることはなかったに違いない。

そもそも、やっていなかったのかもしれない。

私の場合は、宗教とはちょっと違うものではあったのだけれど、今となっては宗教にはまりやすいタイプというのはあるのだなあという自分の中で思うところはあったりする。

何かの宗教にはまりやすい人のタイプとしては、ピュア、真面目、道徳的、親切、劣等感がある、罪悪感がある。

これらの特徴のどれかに当てはまる人が多いように思う。

自分独自の考えがすでにある人は、新たに話を聞いたところで、自分の考えを捨てて何か別の教えに真剣になることはないような気がします。

私の場合は、自分で言うのはなんだけれども、まあピュアなところ、真面目すぎる、道徳的で良いことをしなければ、みたいな傾向があるように思う。

まあ劣等感や罪悪感、全部かもしれないけれど(笑)

等身大のわたしでいいと思えた

わたしが学んでいた教えというのは、確かにすばらしい教えのひと言に尽きるようなものだった。

ただし、今の私が思うのは、別にすばらしくなくて良いということだ(笑)

私の等身大で安心できる状態がまず第一でした。

今では、自分の映写機で映し出した教えだったのだ、と考えるようになったので、何か自分でそういう最高の教えというものを外に創っていたにちがいない、と考えるようにしています。

外の何かの教えを絶対的なものにするのではなく、自分が創造主という見方が優勢になってきました。

等身大で良いと思うようになると、このまんまの今の自分で何の問題があるのか?と思うようになりました。

何を変わらなくちゃいけないのか?進化しなくてはならないのか?と。

そう思ったら、途端に肩の力が抜けて楽になったのでした。

そこから離れてみようかな?というそれまでならあり得なかった考えも出てきたのでした。

だって一生涯この教えをやっていくと決意していたくらいでしたから。

真面目すぎるためか、長年やっているにも関わらず言われるようにできない自分をどうして良いかわからなすぎて、苦悩しちゃったんですね。

まあそれが自分としては幸いしたのか、言われるようにしようとするのにできないものだから、ついには、そんなにすばらしい教えのはずなのに、凡人の私さえ変えられない、という結論に達してて限界を感じてしまった。

まあこれは完全に個人的なとらえ方であり、私には結局のところ合わなかった、ということでしかない。

10年以上もはまりきっていたわけだから、今思うとその時間がもったいなかった?と感じてしまうこともあるわけだけれど、いや、これは必然なのだろうなあと思う。

ここまでやってみたことで、私にとってのひとつの答えが出たわけだから。

それに、学べた部分もたくさんあったのだと思うし、感謝なんだと思う。

いかにも正しいことが真面目なタイプこそプレッシャーになりがち

すばらしい教えはやはり、愛や信頼を真っ先に説くわけだけれど、今の私にとっては、そんなことより私自身の本音の方が何よりも大事なのだと思える。

自己肯定をする、ということが何よりも大事なはずだったのに、長年同じところでやっていて、愛が大事、などと誰かから言われたりすると、一番やりたくないことだった自己否定をしてしまっていた。

そこにいる限り、自分にとっては、そういったすばらしい状態へ向かわなければならないという意識から離れられない感覚があり、その状態でいることに耐えられなくなってしまったのだった。

もちろん、一方ではそのままの自分にOkを出す、ということも教えられていたのだろうと思う。

けれども、そこの教えの理想的な行き着く先は愛であり信頼であるかぎり、そう掲げられていることそのものがプレッシャーにしかならなくなった。

例えば、一番道徳心を問われるような、親を大切にしましょう、とか、そういった言葉を誰かに言われるとすれば、それができない自分がいたら、真面目だととてもしんどい思いになってしまったりするということはわかりやすいのではないかと思います。

どうやら私はそういう傾向はとても強いらしく、正しいことをした方が良い、などと言われると、人一倍プレッシャーになるようなところがあることがわかったのです。

だからこそ、今の時期は時に、本当に人のいかにも正しいような意見を聞き入れたくない、言われたくない、というのが強いことを感じます。

もちろん自分で思って人に親切にすることはありますし、人の幸せを心から願うことはありますし、自分のペースが自然でいいわけです。

でも、人からの意見が入ってくると、とたんにしんどくなってしまうということがあるものです。

人と交流すると、自分の意見を言いたい人というのはとても多いため、人との交流はあまりいらないタイプの人間です。

今の私は教えてもらったり、教えたり、ということには興味がなく、ただただその場を楽しく笑って笑って過ごす、という交流であれば求める気持ちが高まっています。

だから、私って案外お笑い芸人に近い感覚なのかしら?と思うことがあります。

自分が繊細な面があると自覚するほどに、逆に大笑いして過ごさないとバランス取れないんだなあということにも気が付くものです(笑)

だから、お笑いで売れる人は、普段は暗い、などという方も多いわけだなあと納得しています(笑)

 

 

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