愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

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統合ワークを組み合わせる・ただし生きているだけで尊い

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統合ワークの組み合わせがいいかんじ

最近のわたしは、いままで学んできた複数の統合ワークを使って統合を進めているかんじ。

これまではひとりの師匠についてやっていた形だったのを、完全に自分のカスタマイズでするスタイルで生きるようになって約半年が過ぎたところです。

今は、関野あやこさんの統合の図を参考に自分で絵を描いて部屋の数か所に貼ったり。

本当にこの図はパワフルで、常に自分を通して見えるとってもリアルな現実のスクリーン、という図です。

常に戻っていかなければならない定位置を意識して、さっきまでどの位置まで現実の世界に入り込んでいたのか?を直感的に感じてみるんです。

そして、定位置まで戻る意識をもつと、それだけでもスッと楽になれることがあったりします。

もちろん関野さんの方法で、その時に感じるネガティブな周波数を鉄球として浮き上がらせて、ブラックホールのような場所に落としてしまう、というのもよくします。

さらに、定位置では上が宇宙を繋がっていて、下は地球に根差しているので、この位置を意識して無限のエネルギーを摂り入れる瞑想をしたりもします。

ずっと今まで瞑想をしていたので、30分くらいなど、その時の感覚で、ちょっと瞑想してみよう、とできたりします。

やってきたことは無駄にはらないものです。

また、バシャールが提唱しているという電球替えの方法は、インドのあきこスピリチュアルさんで知ったのですが、ネガティブなイメージの電球を取り外して、新たにすっきりした明るい光の電球に付け替えてその光をしばらく浴びる、という統合も行います。

とにかく、したいときには積極的に電球を替えよう!と思い、以下の張り紙もしています。

気持ちが落ちているときなどは、思考停止していて、そこに入り込んでしまっているので、なかなか統合ワークをしよう、という風にならないし、することさえ忘れてしまうものです。

でも、それはそれでそういう時期もあってよいとおもっています。

落ち込むことも貴重な経験ととらえることもできます。焦りは禁物ですしね。

無理にするとつかれるものなので、やりたいな、という時にすればよいと思うんです。

ふいに訪れる将来への不安など、たとえば、お金のこと、健康のこと、人間関係のこと、こういったことも出てきたときに、統合しておきたいな、と思った時には、積極的に書き換えをしています。

それ以前にも、こうなったらいやだな~、などと思う時には、その裏には、自分の望みが隠れているものです。

だから、お金不安だなあと思うなら、「年収1000万くらいあったらいいな」という思いがあるかもしれず、それならその望みが叶った時に自分がどのように感じているのかな?と

イメージをして、その周波数を宇宙に飛ばしておきます(*´▽`*)

望みを飛ばした後は、「そんなのできないかも?」と何度も何度も不安が顔を出してきたりするものです。

これまでの思い癖ですからねえ。

でも、そのたびに、ただ統合ワークで書き換えをする、ということでオッケーだと思います。

所詮生きているだけですばらしい

私は今までに、そんなにたくさんのスピリチュアルなことをやってきたわけではありません。

まあまあやってきたなあと思うんです。

いろんな人の考えを学んだり、ヒーリングを受けたり、悟りをめざして瞑想伝授もしてもらいました。

私の場合には、悟りをめざした瞑想を10年以上も継続してきました。

けれども、今思っていることは、結局生きてきて、色々迷ってさまざまな体験をしていきたこと、そのことが宝なのかなあということです。

悟りをめざしていたとき、どんどんもっとすばらしい人にならなくちゃならないなあ、などと思っていました。

けれど、なぜかしんどくなってきて、ある日、「あれ?わたし今の自分じゃダメと思ってない?」と思いました。

特別なことをして進化すること、って、本当にやらなければならないことなの?と。

そう思った時が、案外悟りというか、目覚めという感覚だったようにも思っています。

人を救う必要すらないということを思いました。

それぞれの人は、さまざまな体験をしていて、苦しみもあるのかもしれないけど、それすら自ら深い部分ではしたくしているように見えてきました。

かつての自分だって、とてもしんどい時期はあったのだけれど、今思えば貴重な体験だったように思えるからです。

渦中の時はなかなかそのようには思えないものですが、ゲームだと思えば、はじめから答えがわかっていては面白くもなんともないものです。

もがいてもがいて何か気づけるからこそ、何かが見えてくるものだと思います。

そう思えば、今生きていてできる体験は、すべて尊いのだなあと思います。

もちろん、そういう悟りを目指す宗教的な感じが好きな人には合っているのだと思うのです。

けれども、ぜったいにそれが正しいということは、その人の宇宙の中ではあるとしても、他の人にとっては違うと思うのです。

つまり、個人それぞれにはそれ以上の力が与えられているものではないかと思うわけです。

そのこと自体がすごい恩恵であり、神のような存在がいるとすればものすごい愛だと感じることができます。

自分の意図する力によって、いかようにも自分の宇宙を創ることができる力をひとりひとりに平等に与えられていると思えるからです。

何が起きても、どんな体験であっても、生きて体験できこと自体がとても貴重で、この肉体をもっている今だからこそ体験できるんだなあと。

今この瞬間がすべてなんだろうなあと感じています。

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