
感動・感謝の波動のイメージで現実創造
朝からおめでたい現実創造を試す
朝からやっていた(笑)
「え~。いいの~?こんなに。こんなにお金入ってきていいの~?うれしい。わたし宇宙一しあわせじゃない?ありがとう。神様ありがとう。最高。最高。しあわせ」
こんなことを口に出して言いながら、自分の望む現実が叶った状態をなりきって演じてみると、本当にしあわせ感や安心感などが感じられる。
で、これが大事ということなんだと思う。
エイブラハムが言っていた、今自分が放つ波動が自分の未来の現実を創造していく、ということを思うとこの方法は、正解!ドンピシャだと思う。
むしろ、やることはこれだけでいいとも言えるのだと思う。
ずっとこれをやっていたらいいにちがいない(笑)
今朝、ある癒しのYouTube動画を見ていたら、コメント欄には、「しんどい、死にたい」などのコメントが結構あるのに気付いた。
それを見ていて、昔の私を見ているような気分になった。
今は、一言で言えば、エイブラハムが私の希望そのものだから私がそういう風に悩むこともなくなった。
きっと見たコメントは過去の私の姿かもしれない。
私の一部を見ているのだと思う。
今の私は自分の人生は自分で創造できるし、今までの人生も自分の放っていた波動が創っていたんだ、ということがわかるようになってきたから、暗く落ち込みすぎるようなこともなくなった。
以前は自分にはたいした力もない、凡人だ、と思っていたこともあったけど、本当は誰もが等しく自分の望みを創造する力を与えている、ということに気づいたら、
自分が人より優れているとも思わない、自分が人より劣っているとも思わない。
そういう心境になってきた。
やはり宇宙理論がいいなあと思う。
いままで教わってきたものだと、どうしても、その教えを学んでいないのはレベルが低いとどこか腹の中で感じていることをどうしたらいいの?と思っていた。
周囲の人にすすめて、それをしないのはよろしくない的な点、これについて自分の中ですごく疑問をもってすごしてきた。
口では、それもすばらしい、と言いながら、でも矛盾はどうしたらいいのかの答えが見つけられなかった。
宇宙理論であれば自分の過去のことすべて、どうしてそうなっていたのかも説明がつくし、周りの人たちがみんなすばらしいことも矛盾を感じることもなく心底思う。
宇宙理論であれば人生はすばらしいんだなあ。神の愛ってとっても大きく深く無限なんだなあと感じることができる。
すべての人に平等に創造する力が与えられているなんて。
ほんとうにすばらしいことだと思う。
あえて言うなら、自分にはものすごい力が与えられていることを知っているか、知らないでいるか?この違いだけということ。
知らないからと言って、その人が何か劣っているということも感じない。
だって知ったらそれでもう即解決!みたいなものだから。(使いこなすには少々時間はかかると思うけれど知るだけで即希望がもてると思う)
誰だって知ったらいいだけだ(笑)
わたしは知ることができたんだから、今からその力を使って、自分や周囲の人を少しでもしあわせにしていけたらなあと思っている。
しかし、決して自己犠牲などやる気はない。
自分の腹の底の本音をつかんでそれに従えば、そのことはおのずと周囲の人のためにもなることと信じているから。
自己犠牲をしている暇や余裕もない(笑)
周囲を見て、困っている人を助ける、というような発想はあまりしたいと思わない。
それもちょっと見下しているんじゃないかな?と思ったりするから。
というか、すべてが自分の宇宙で起きていることであるから、自分がただ平和になればよいだけ、というのが究極的な答えのように思うし。
何か周囲に困った状態を見たときは、ともかく光で包むイメージをする程度で十分と思っている。
できればネガティブな部分にあまり焦点を当てない状況を創りたいとさえ思う。
自分の宇宙としてとらえたら、本当に自分が平和で幸福になればそれだけで平和になると思うから光に包まれるイメージをしてみる。
すると、私の宇宙の中に現れることはどんどん軽くなってくるんじゃないかと思う。
使命感や役割をあまり意識しすぎると何かズレてしまうような感じがする。
これまた特別意識につながるというか。
楽しくやっていたら使命を感じるようになる、ということはきっとあると思うけれど、それでもあまり自分の人生だけを特別なかんじに演出し表現すると、おごりになり、周囲の人を変に巻き込んで、無意識に周りの人の幸福を奪ってしまうこともあるように思うので、ちょっとだけ気をつけたいなあとも思う。
ただ自分が喜びで生きる、その意識を持っている方がよいように思う。
何か人にしたことは、自分がうれしいから喜びだからするだけ。
してあげた、みたいな感じはいやよね~、恩を売られると、「それって結局自分のためにしたことでしょ?」って言いたくなるし。
それだったら、すべては自分の喜びのためにしたこと、と潔く認めて過ごしたい(笑)
人はそれぞれ力を持っているのだし、人のことよりも、自分のしあわせ創造に集中することだろう。