
自分が神であるとどれだけ信じられるか?
宇宙エネルギーを信じる
宇宙理論を信じる立場というのは、人生は自分の思うようになる、ということを信じていることと同じだと思うのです。
そうは言っても今現在の自分の状態は、思ったようにはなっていない、などと思ったりします。
でもこれって、自分がどうありたいか?このことが明確になっていないだけではないか?と思うわけです。
自分の望みをいろいろとあげてはいるのだけれど、どこまでの熱量をもってそれを望んでいるか?と言うと、実はそこまででもない、ということが多いことに気づいたりするからです。
エイブラハムの引き寄せでも、何かの望みに対してワクワクを感じられることが大事、というように言っています。
自分がこれだけのお金がほしい、と望んだとしても、そこにワクワクするエネルギーがないということは、実は案外強くは望んでいないのだなあと思ったりします。
つまり、ワクワクをたくさん感じられる自分を取り戻したい、ということがあります。
それには、今もっている罪悪感や心配事などをもっと取っ払っていくと、ワクワクを感じられる体質になっていくのかもしれません。
今までやっていた瞑想法では、そういった心の働き自体は欲だから取っていく、ということもあったと理解しているので、私はこれからワクワクする心を取り戻していきたいと思っています。
欲望をしっかりと取り戻したいと思うのです(笑)
宗教的なものから、宇宙理論へ切り替えた点は、この部分がとても大きかったと思います。
確かにその瞑想をすると心地よいのだけれど、自分の生活がそっちのけになってしまった感があったのでした。(その瞑想をやっている皆がそうではないと思います。私の場合です。)
望みが叶う時というのは、叶う前にそのことが叶ったような感情を先に味わう時間があるものだと思います。
実際に、こどものころは私もその能力を自然と使っていたことを思い起こします。
ワクワクをたくさん感じていた子供のころには、いろんな楽しいことが次々と起きていました。
ただし、それと同時に漠然とした不安も抱えていたことを覚えています。
神であると宣言すると自分に力が戻る?
今は、恐怖や不安というのは、自分の幻想でしかない、ということを理解していますので、たとえ、そういったものが湧いてきても、「幻想だ」と言うと、不思議と消えていくかんじがあります。
恐怖や不安を覚える状態は、自分がそれに対して無力だと宣言しているようなものだと思うのです。
でも、真実は、愛、平和など、宇宙エネルギーに等しいものだけなのだろうなあと理解すると、どんな事態にも落ち着いていられるように思います。
だから、私は誰かエネルギーの強い人の傘下にいるんではなく、ベースとしては子供のころの私に戻ったらいいだけなんだろうなあと思いました。
プラスして、大人になって学んだ宇宙の真理を組み合わせて生きればそれで大丈夫なんじゃないか、というちょっとした確信のようなものを感じています。
いつも宇宙エネルギーを信じ、そこを意識し、そのエネルギーを取り入れていれば大丈夫なんだなあと感じることができるんです。
カルマすらなくなっちゃうんだろうなあと。
カルマもよくよく考えてみると、神は何もジャッジしない存在で許しているわけだから、自分が許せば外れる、ということになるのだと思います。
なら、罪悪感や不安感が出てきた時に、「それは思い込みよ。目を覚ましなさい」と言ってあげたらいいはずです。
その時、その時でちゃんとなだめて本当のことを自分に伝えていけるなら、変な方向に行き様がないと思うからです。
自分でできるのに、なんで今まで何か大きなエネルギーを持つ人に頼ろうとしていたんだろうか?と思います(笑)
自分について疑うことがそもそも思うように生きられない原因なのに、と(笑)
自分=神なんだなあと、以前であれば、どんだけあやしい考え方?と思ったであろうことを本気で信じていけるかどうかが鍵なのだろうなあと思うようになりました(笑)
外の神に祈る方法⇒自分自身が神である、と意識を切り替えるだけで自分のパワーの出方って大きくちがってくるのでしょう。
ただし、これはあまり周囲には言わない方が身のためでしょう(笑)
自分の中で静かに思っておけばそれだけでいいと思います(笑)
自信過剰な人と勘違いされる場合があるでしょうから。
でも、自分=神とピュアに思えるということは、本来は一番謙虚な内側の在り方ではないか?と思うのです。
わたしたちは元々神さまから分け御霊として存在を与えられていると言いますからね。