愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

カルマの意味は?わたしにカルマはあるのか?

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カルマについて

カルマのことは、業(ごう)などと言われ、自分の良くない行いが元となり、今生や未来生でいずれ表れるから、浄めていかないとならない、などと多くの宗教などで言われることが多いのだと思う。

カルマと言うと、とかく悪いことを思いがちだと思うのだけれど、実は、カルマには良いものもある。

例えば、過去生があるとして、そこで、私が大きな仕事を成功させた経験をしたことがあったとする。

すると、今生でも、ひょんなことからはじめた仕事で大成功を収める、ということがあるかもしれない。

このような良いカルマについては、特に問題視することもないように思うし、恐れもまったくないと思う。

問題になるのは、悪いカルマの方だ。

悪いカルマがあることによって、これからの未来、または未来生でどんなことが起きるがわからない、という点だと思う。

私自身も、このことでずいぶん思い悩んできた。

今所属している協会を抜けるにあたってそのことが気がかかりだった。

だから団体に属することが苦手だった私に長い間、やめるという選択肢が浮かぶことはなかった。

でも、ちょうど悩んでいるときに、自分にとっては耳寄りな情報を再度ゲットすることができた。(引き寄せたにちがいない)

再度、というのは、以前友人が、「これからは、何かに属さなくても直接宇宙と繋がることができる」と言っていたことがあったからだ。

その時は、しっかり教義を信じていたため、気に留めていたくらいだった。

それでも、気に留めていたのだから、本当は気になっていたのだろう(笑)

当時は、「そんなことができるのかなあ?まあできるなら苦労はしないのだけど」というような心境だったと思う。

しかし、ここにきてやはり、その友人が言っていたように、YouTube動画のAkikoさんなども、今は地球の波動が高くなっていて、簡単に高次元と繋がれる、ということを言っているのを耳にするようになった。

私の望みというのは、自分の思う人生を歩みたい、ということに尽きるのだと思う。

その先の、もっと悟ったような人になる、ということもつき詰めていけばあるのかもしれないけれど、それは、そういう境地が自分が本当に求めるのであれば、かもしれない。

なんであろうと幻にすぎないような気もするし、いい子になろうとすればそのようにも思うのだけれど、ある意味高望みをせず、等身大の自分を愛するのであれば、Akikoさんの仰っているようなかんじで私にとっては十分ではないかとも思う。

それに、その教義やエネルギーがどんなものであるかの実態はいくら自分が考えても本当のところはわかるはずもない。

ただ自分にとっては自分の望む人生が目の前に創造できるほうが結局は大切だ。

第一Akikoさんらも仰っているような宇宙と繋がる方法が、そうした宗教的なものに比べて劣っている、ということにはならないと思ったのだ。

Akikoさんは、修行というのがちょっと古い、というように言っていて、これは友人も言っていたことだ。

カルマという言葉を聞かされ、それを思って自分が修行をしていくことは、もはやある種のとらわれとなってしまうと感じていた私だったのだが、

もし宇宙理論ならば、カルマはこの地球上のことであって、宇宙エネルギーで消去していくことも簡単だったりするということがある。

また、この世界(宇宙)を創造しているのは自分、という宇宙理論を受け入れた立場で見ると、カルマがあって死んだら地獄へ行く、と自分が思うのであればそうなるし、自分はカルマは消せるし天国に行けると思っていたら天国に行ける、ということになる。

それなら、どちらを受け入れたいのか?と問えば、当然後者だなあと私は思う。

それをしないと地獄に行くよ、な~んておどしは、そもそもエゴの言葉にちがいない。

だって、恐れを刺激されるから。

恐れって本来、偽物だよな~、ってのがよく考えてみるとわかる。

そうではなく、私たちは神と同じ素材でできている、ということを思いだす方が理にかなっているように思う。

私たちは、本来神と同じとわかっていることで、自分が満たされた人生を送っていくことで、おのずと自分もいい思いや行動をしていけるもののように感じる。

自分が不完全だと思っている状態からこの世界を見るとすれば、すべてが不完全に見え、自分が無力であると信じ込み、その結果不満な人生しか送れなくなるように思う。

なんでも、作用点で決まると思うのだ。

だから、自分は宇宙や大いなる存在となんら変わりないし、もともとひとつ、ということを今この時点から受け入れていくことが大事なのではないかと思うようになった。

ただし、そのように思えるようになったことは、それこそ地球の波動が上昇したためなのかもしれない。

私が、協会の教えを乞うた時には、自分にとってそれは不可能なことであり、すべてが必然の流れであったのだと思う。

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