愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

精神が思いのほか安定しているのがうれしい

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ある瞑想団体を脱退する予定のわたし

わたしはこれまで10年以上つづけてきた瞑想の会を脱退する予定でいる。

しかし、会の都合でその折り返しの連絡が来週に持ち越されることになった。

きのう、おとといと待っていたのに(笑)

メールで、「すみません」との連絡がきて。

ということで、あと4.5日は猶予期間みたいな時間がつづくようだ(笑)

毎日やっていた瞑想をやめてはや1週間以上が過ぎ、さて精神的に崩れるのか?と思いきや、なんだか逆な感覚さえある。

瞑想をしない代わりに、きのうは海に朝日を見に行ったし、独自にハイヤーセルフのミカエルとコンタクトをとっていることが良いのだと思う。

なんとなくだけれど、ハイヤーセルフとコンタクトを取るだけで、ある意味、瞑想状態と言えるのかな?なんて思う。

なぜなら、瞑想をしていた時よりも、なんだか気持ちが安定しているからだ。

会からすれば脱落した人というイメージになるのかもしれないが、私にとっては、やはり卒業して、また自分として上の段階にステップアップするかんじなんだと思う。

というか、そう思ったからこそ辞めることにした。

それでなければやめるはずがない。

地球的な浄化法から、宇宙エネルギーへの浄化ににシフトすることで、自分にあるであろうカルマに関する懸念やさまざまな縛りがなくなっていくように感じている。

ただし、きっとこれ以上の教えはない、と思えるほどのものであったからこそ、私は宇宙理論へ目覚めることができたように思う。

だって、この会で自分はしあわせになれないのならば、やっぱりダメな人なの?となってしまいある種の絶望を感じたわけだから、そこで必死に自分が安心できる状態を探し求め、たどり着いたのが今の状態だったから。

その会の瞑想の実際のエネルギーの質について私が今、はっきりわかるのか?と問われると、決してそういうわけではない。

むしろ、自分としてはこれまで自分が感じた中で一番すばらしいエネルギーと感じていた。

 

自己肯定のためのポイント:絶望したとしても、その先に必ず自分が納得できるものが用意されているものである。

魅力的なエネルギーは恋愛と同じ?

でも、そうなのに、自分がだんだんと縛られるような感覚になってきたから、「いくら良いエネルギーと感じるとしても、自分にとって縛りになるのであれば離れることが自分を大切にすることにほかならないのではないか?」と考えたからだ。

それを例えて一番わかりやすいのは恋愛ではないかと思う。

ものすごく好きな憧れるような人がいるけれど、その恋に走ると自分がダメになってしまう、相手のペースに合わせるばかりで自分が置き去りになり決して幸せになることができない、というのと似ているんではないか?と思っている。

だから、どんなに良いエネルギーと感じるとしても、それは自分にとってはふさわしくない、つまりそうであるならば私にとっては何の意味もなさず、むしろ害になってしまうということなのではないか?と思うのだ。

会にいることで、自分は自分の今のままで良いと思おうとしていても、「こういうことをしてください」と言われたりする。

そうすると私のしたかった自己肯定が阻まれてしまうということがある。

エネルギーの良さはあっても、組織になってくると会を運営するというまた別の面もあり、その部分も同時に受け入れて進んでいく覚悟が必要ということなのだと思う。

わたしにはその覚悟はない。組織なんてどうでもいい、というのが本音だ。

まず、自分がしあわせになる、自己肯定でき、楽におおらかになっていくという部分で、最初は良かったのだけれど、いつしかそのことができなくなってしまったことに気づいたわけだ。

今、まだ脱退が決定した立場にいるわえではない宙ぶらりんな状態ではあるものの、日に日に解放されているように感じている。

あれほど執着してきたその会の瞑想をやっていないというのに、精神は安定しているし、心地よく過ごせている。

この今までのものを手放して尚、精神がが安定するためには私なりのコツがあって、いくつか組み合わせているようなところがある。

これは経験から生まれてきたような感じではあるのだけれど、次はその方法について書いてみたいと思う。

 

自己肯定のためのポイント:自分が思わず惹かれてしまうようなエネルギーがあっても、自分が幸せではないと感じるなら、そのツールは無意味、または自分にとって有害になり得る。

 

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