愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

私の宇宙にはいろんなことがいっぱい

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最近なんだか騒がしい世の中?

わが家にはテレビがないのであまり詳しいことはわからないのだけれど、最近吉本興業が騒がしいことは知っている。

さっき買い物へ行ってきたのだけれど、ひとりの道のりは少し孤独なさみしささえ感じるものだ。

道中には色んな人がいて、さまざまな動きを取っている。

帰り道も公園には持ち主の子どもがどこにいるともわからない自転車が置きっぱなしになっていた。

また、帰って携帯を見てニュースに目をやると、フォークで我が子を刺したなんて事件もあったらしい。

わたしの宇宙では、実にいろいろなことが起きている。

しかも、最近、どこもかしこもごたごたしているようにも見える。

 

あ~。以前のわたしだったら、「この人生つまらないなあ」と思ってしまったかもしれない。

または、「あ~見たくないことばかり」と言っているように思う(笑)

でも、今は、たしかにつまらないかもしれないが、このつまらなさを感じている今も尊い時間であるように感じるのだった。

たとえば、人生の成功を収めて、バラ色の人生を今歩んでいるとして、それはたしかにステキな人生にちがいないのだけれど、だからと言って、貧しい人生とどちらかに優劣があるのか?と言えば、ないにちがいない。

きっと、そうした貧しさの中で感じる体験そのものこそ、貴重な人生での実感ではないかとも思う。

そうすると、ちょっぴり孤独に感じる家までの道中も、きっと私は幸せ者に違いないと思えた。

私はきっと今どこにいて何をしてようとも、幸せなんじゃないか?と。究極的には思うのだった。

それだけ、人生のさまざまな体験はそれぞれに味わい深いものと考えることができるのではないか?と思う。

少なくとも、この私は、今色んな体験をしているとき、最愛の主人との人生を歩んでいるということで、それがまずすごくありがたいのだと思う。

また、人は人生を振り返った時、辛くしんどかった時のことも、なんだかかけがえのない時間だったように感じることがあるのではないかと思う。

そのことが、人生のどんな体験でも、どんなひとときであっても、それには優劣なく、貴重な体験であることの証なのかもしれない。

私が、パッとしない時間を過ごしたことも、そのパッとしない感覚ってどんな感じなのか?

それは体験してみない限りはどうしたってわかりようがない。

人はそんな時間を過ごしてみてはじめてパッとしないなあと思うだろうし、そういう体験をしたことがあればこそ、他の人の気持ちについても共感できる自分にもなれるものだったりもする。

こんな風にどんな時間も大切な自分の人生の一部だと思うようになると、本当に人生がいつも愛おしいものに感じられるようになれるのかもしれない。

そうして、私の宇宙で起きていること、目に映る登場人物のすべてが愛おしいものに感じられるとしたら、どんなにステキなことだろうか。

 

人生を肯定的に捉えるためのポイント:どんな体験をしているときも、それ自体が貴重であることを知る。自分は究極的にはどこで何をしていてもしあわせなのかもしれない?という視点をもっておく。

 

 

 

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