
自分の中に全てある
完璧な女性も自分の中にいる?
YouTube動画を見ていたら、お笑い芸人の梶原の登録者数が100万人をついに突破したというじゃあありませんか。
すげえ!同じユーチューバーとしては、そんな言葉しか出てこない(笑)
それも1年にも満たない間に、予想を遥かに超えるスピードで目標到達したという。
梶原は、ユーチューバーとしてはカジサックと呼ばれている。
そして、奥さんや4人のお子様も度々登場していて、それぞれ嫁サック、子サックなどと呼ばれているのだけれど、実にすばらしいファミリー。
お子さんたちは、子供らしさがありながら、それぞれに個性豊かに育ち、言いたいことはハッキリと表現できつつ、思いやりに溢れている。
一体どのようにしたらこんなにステキな子供たちに育てることができるんだろうか?と思うほど。
で、そこはやはり奥様の嫁サックがずば抜けて素晴らしい方なのだ。
その美貌もさることながら、それでいてまったく気取ることもなく、いつも笑顔満開。
怒った顔もまた可愛らしく、笑いもさすがわかってらっしゃるし、強くて、涙もろく、旦那には尽くすし、なんだか最高の女性なのだ。
4人のお子様がいるあわただしい毎日の中でも、オシャレを忘れることもない。
この方、「どんだけ~」と言いたくなるくらい、すごくステキな方だ。
で、ここまで長い前振りをして、一体、このブログの趣旨と何の関係があるのか?と思われたかもしれない(笑)
でも、ここからが実は重要なポイントだ!
そんな素敵なまるで完璧な女性を見ると、ついつい自分と比べてしょぼんとしてしまう、ということがあるかもしれない。
現に私も一瞬、そのようになりかけたのだった(笑)
でも、宇宙理論で言えば、自分の宇宙で展開されていることは自分の中にすべてあるということを思い出すといいのだ。
つまり、彼女のようなステキな要素は本来わたしの中にすべてがあるということになる。
う~ん、でも確かに、顔がちがうぞ、とか、スタイルもちがうぞ、とか思うかもしれない。
が、しかし、私は今現在の姿形の私がすべてなわけではない。
過去生ではきっと膨大な姿形になってきたことだろう。
そんな中には、嫁サックのような容貌をしていたこともあるかもしれない。
そして、もし今までの過去生をいくらさかのぼっても私の魂はそういった経験はしていないとしても、未来世ではなる可能性だってある。
つまりは、すべて、目の前にあるものは自分もなり得るものだということを頭に入れておくと、嫉妬しなくてもすむ(笑)
さらに、逆もしかりだ。
目の前に、自分にとっては受け入れがたいような容姿の人が現れた場合も、残念ながら自分もそのようになりうるわけだ。
そう思うと、あの人が上、あの人が下、という考え自体をもたなくてもすむ。
できるならば、ただ自分の目の前の世界に、微笑みかけることができたなら、ベストではないかと思う。
なぜならば、もう言わなくてもおわかりだと思うのだが、目の前の世界はすべてがあなたそのものだからだ。
もっと究極的に言えば、この世界には私しかいない、ということになる。
自己肯定のためのポイント:自分よりステキな人を見たら、自分にもそれがあると思おう!
あなたの世界を信じてみたらいい?
あなたが、目の前の現象がどうであれ、そこにまどわされず、現実に決して飲み込まれることなく、その世界に微笑みかけることができれば、人生は意のまま、ということになるにちがいない。
まあ、今、自分の人生が決して思い通りにいっている、というところまではいっていない私であるからして、この宇宙的な理論はひとつの仮定にすぎないが、ここのところ、それが真実ではないか?ということを実際に体験することがある。
まだまだちょっとしたことだったりするが、そう思って色々と実験的に人生を使って体験してみるのも面白いかもしれない。
ちなみにきのうは、セミナーを受けるために神戸まで行ってきたのだが、その時に、いくつか実験をしてみたのだった。
まずひとつは、セミナー会場までを全部人に聞いてたどり着く、というものだ。
なぜか昨日から携帯の電池の減りがすごく速くなってしまい、帰りに主人に連絡つけるまでに切れてしまっては困るというのもあって、携帯の中の地図を見ずに会場名だけで着こうと思ったのだ。
そしたら、はじめ3人くらいに声をかけ、現地の人ではなかったこともあり、「わからない」と言われたものの、4人目の女性の学生さんが、「私、近くまで一緒に行きますよ」と言ってくれた。
別れ際には、「近くまで行かれたら私よりももっと詳しい人もいると思いますので聞いていただいて」ととっても親切だったのだ。
なんだかうれしくなった私もお礼を言う時に、「あなたの人生が良い人生になりますように」というようなことを思わず伝えたのだった(*´▽`*)
その後も、かわいらしい女性にたずねたりして、無事1時間も前に会場に到着することができたのだった。
この経験はちょっとしたことではあるかもしれないが、何でも、自分の力でやらないとならない、と思わなくても、案外助けてもらえば何でもできちゃう、と思ってやってみると、実際に助けはある、ということがわかるような体験だったように思う。
それはもちろん、そう内側で信じていないと発動しない。
不信があれば、それがそのままあなたの目の前の世界に現れることになる。
他にもこんな実験をしてみた。
セミナーが終わって帰りは、バスに乗るまでに1時間くらい時間があった。
しょうがないので、ドトールコーヒーに入って待つことにしたものの、ここでも携帯電話をあまり使いたくないため、時間を人にたずねることにしよう、と思ったのだ。
そうして、その間3人の人に時間をたずねたのだった。
3人とも女性だったが、黙っているときは、物思いにふけっているようだったり、少しとっつきにくいのかな?と感じられる人も中にはいたのだけれど、実際にたずねると案外親切で、さいごには、手を振って先にお店を出ていく人も中に1人いらっしゃった。
それで私は「あ~、世の中って思っているよりずっとやさしいのかもしれない」という風に感じたのだった。
つい、人には迷惑をかけてはいけない、とか思ってひとりで抱え込んでしまいがちだが、実は人は誰でも人に親切にしたい、とか、人の役に立ちたい、という気持ちを内心もっているものだったりするのだろう。
だから、何かサポートを受けることで、相手の心を明るくする、ということがあったりするわけだ。
そして、このように考えて自分の宇宙を「楽々進める世界」という設定に変えて、実体験してみると、今の自分が思っている枠から超えることができるのかもしれない、そんな風に感じることができたのだった。
何か曇ってしまうと、人は、自分にはたいして力がない、と思っていたりすることがある。
でも、力が外のあるように思っているなら、それが間違いであると気づくことからはじめると良いのだと思う。
そうではなく、すべての力は自分の中に存在しているにちがいない。
神のような絶対的な力だって、それを外に置くのではなく、自分の中に自分と一体となって存在している、と思うようにすると、とたんに自分がすべての主体となって動くことができるようになるのではないかと思う。
それを外に置いてしまうかぎり、いつまでたっても自分は無力だと思ってしまうのではないか?
そんなことを近頃よく考えている。
だから、何か問題と思うことが目の前に現れた時は、まず、すべての力は自分の中にある、ということを認めることから取り掛かるようになってきた(*´▽`*)
人生を思うように創造するポイント:すべての力が自分の中にあることを認めよう!そして、自由自在に望む設定に変更してみること。