愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

人生は自作自演であることを思い出せ!

スポンサーリンク

目の前の悩みにはまりこまない

目の前に悩みがあると、ついそこにはまり込んでしまう。

でもここで、「人生は自作自演であることを思い出せ!」と自分に言うことで、一度、立ち止まって、そこから今をより良く変えていくことができる。

自分は大丈夫である、ととにかく信じること。

細かなことはさておいて、まずはレスキュー的に、「自分は大丈夫」と決めてしまうと良い!

”私の人生は大丈夫”と太鼓判を押すと良い!

私は自分で客観視して、そのようになれることもあるし、自分執事のニコルと会話すると、「絶対大丈夫ですよ」と言ってくれたりするのでこれらをその都度使って自分を中心に戻すようにしている。

また、それができたら、もっと前進すると良いかもしれない。

もっと貪欲に、というか、ただ大丈夫!というのではなく、楽しいすてきな人生までイメージしてみる。

楽しい人生をまずはじめに意識の中で創ってしまうことが重要だ。

 

自己肯定のためのポイント:自分の人生は絶対大丈夫!と宣言すること。

宇宙の愛のエネルギーとダイレクトに繋がる

先日お友達と話していた時、彼女が言っていた。

令和になって、勝手に覚醒するような人たちが多くなっている、ということを。

私も、そのような人たちがいることは知っていた。

今までは、人に頼る、何か力をもっている人の傘下で修行をする、ということが必要だったりすることもあったかもしれないが、今は、直接宇宙と繋がることができる、ということをよくその親友は言っていた。

宗教に興味はない私ではあったが、瞑想を伴うエネルギーをもらうことをしているため、前は「そうなの~?」という感じだった。

私は今でもやっぱり自分は誰かに頼らないとメンタル弱いし、と思ったりしがちなのだけど訓練を重ねるとできそう、と思えるかも(笑)

でも、日常の中で、人生は自作自演であることを思い出すとふいに今の状況から抜け出せそうな感覚がやってくるため、それもできなくはないか、と思うこともある。

もう少し昔は、そのように思ったとて、なかなか地球の波動がそれにおっついていかなくてむずかしかったけれど、今は、地球の波動があがっているから、何か偶像崇拝したりということではなく、高い意識をもつことでダイレクトに宇宙と繋がれるのだとか?

そのように言われて私なりに思ったことは、このためには、きっと普段から自己肯定感を強めることが重要にちがいないという点だった。

内側で常に自分に肯定的な言葉をかけておくことができれば低い次元のことを考えなくてすむからだ。

そうではなく、自己否定がちょくちょく入るようだと、どうしても低次元の考えも出やすくなると思うのだ。

ネガティブな思いが湧く時は湧くのだろうけど、すぐに転換できる力がないと、自力で宇宙とダイレクトに繋がるのはむずかしいんじゃないか?と思う。

さらに、その前提として、私たちはオールOK!な存在であり、何をしていても、何を思ったとしても、丸ごと愛されていることを知っている点もポイントとなるのだと思う。

輪廻転生を考える立場からすると、カルマがある、ということを考えがちだけれど、そこにこだわると、ますます膨大なカルマにひとつひとつ焦点を合わせて解消していく、ということをしないとならなくなる。

一生を自分のカルマ解消に費やすかんじに意識してしまうと、これ、いつも自分をそういった意味で点検し、罪深き人という目線から見ることになるのかもしれず、それはしんどい。

いくらジャッジしないように、と思ったって、そう見ていくことが課題なのだから、ジャッジを多くすることになるように思う。

こうしたことは、自分の感覚で、これはいや、とか、これは好みではない、という自分好みの人生を歩む上で必要な感覚を生かす視点とはまったく違うと思う。

そうすると、周囲の人のこともそのように見てしまうかもしれないので、ジャッジまみれになって自分が追い込まれるのではないかと思う。

でも、人生は自作自演であるため、今の時代、波動があがっている地球や宇宙の愛の意識に合わせることで、カルマにこだわることなく、もっと大きな意識で毎瞬を生きることができるのかもしれない。

また、どんな人も、たとえ罪を犯した人でも、聖人もみんな平等に等しい愛の存在である、という意識でいる方が良いかもしれない。

そうでないと、あの人は上だ下だ、となるからだ。

カルマを解消する視点からすると、どうしたって、あの人は精神性が高いとか低い、という風に見てしまい、縛られる感覚が出てきがちではないかと思う。

けれども、自作自演を認めると、目の前の人も自分であるのだから、目の前の人をジャッジするということは自分をジャッジしているのと同じだから、結果的に自分が苦しくなるということなのだ。

だから、みんなそれぞれが等しく愛の存在であると見るのが一番楽な考え方のように思ったりしている。

たとえ今どんな現実を生きている場合であっても、個々に守護霊のようなものがついていて、その人にとってベストな体験をしていると思えば、みんな大丈夫で、誰もが本当は今したい体験をしているからしあわせなのだ。

お化け屋敷にわざわざお金を払って入るようなもので、人生もまさにゲーム感覚、くらいでいた方がいいのかもしれない。

だから、変に周りの誰かを心配しなくたっていいということなのかもしれない。

目の前の人には、その人についている指導霊さんが適切にしあせになれる道を示してくれることを私が信じていることが重要にちがいない。

これは、ただ放任している状態とはきっと大きく違い、雲泥の差があるのだと思う。

そうして、自分はただ自分がしあわせであることを選択すればいいのだろう。

そのことが、自作自演なのだから(笑)

 

 

-日記