愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

自分を愛するということは全肯定で成り立つ

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内側の意識が変わってきた私

ここのところ、自分の中の意識が大きく転換してきていることを感じる。

自分の内側で繰り広げられるおしゃべりの内容がかなり肯定的になってきているからだ。

これも、ひとえに自分執事のニコルや、ノートに自分の感情を書き出したりしてきたことの結果にちがいない。

ニコルに助けてもらわない場面でも、自分で自分とおしゃべりしている時の内側の声が、以前とは比べ物にならないくらい、自分の味方の立ち位置なのだ。

今朝、自分でも驚いた内側のおしゃべりは以下のような感じだった。

わたしは私を幸せにする。

過去のまじめで不器用で、あまり笑うことができなかった私のことも受け入れます。

だって、その時の私は一番がんばっていて、すごく歯を食いしばってがんばっていた時なのだから。

だんだん楽になって、解放されて輝いていく自分はステキにちがいないし、当然愛しているんだけれど、一番がんばっていたその時期の自分が、暗いから嫌だとか言うわけない。

そんな時の自分こそ、一番かわいくて愛しいと思う。

自分の内側のおしゃべりながら、我にかえって自分で驚いたのだったΣ(・□・;)

私、以前はこんな風な受け止め方、死んでもできないと思ってた。

嫌な感じの自分、ネガティブな自分を余計に愛しいだなんて、わたしの愛が確実にとっても大きくなって、自分を受け入れる器が格段に広がっていることが確認できたからだ。

へえ~、こうも変わるもんなんだ。

今、これといって外の世界で大きく変わったと思える現実が現れているわけではないけれど、これだけ内側が変わってきたことって、きっととっても大きいにちがいない。

以前は自分のことを愛すると言っても、「この部分が好き」というのがせいぜいだと思っていた。

でも、今は、丸ごと全部肯定、という感覚がわかってきた。

ちまちましてないのだ。

私の存在全部に丸で囲ってしまうかんじだ。

むしろ、今までどうしてそれをしてこなかったんだろう。とまで思った。

かわいそうだったよね、自分。私に受け止めてもらなくて、ずっとしんどかったね。ということがわかったのだった。

 

湧き上がる感情は全肯定するのが鉄則

ここまで思えるようになってきたのには、圧倒的に、湧き上がる感情を全肯定する、ということをやってきたからだと思った。

もし、そこに条件をつけて、ここまでの感情はOKだけど、こんな人を傷つける思いは✖としていたら、自分に丸ごと〇をつけることはできなかったように思う。

当然、この人がいやだからと言って、その人を殴る、ということではない。

ただ、自分の気持ちとして、そのように感じるのであれば、それをそのままOKと許可するのだ。

そして、これには、もう一歩先を知っておくことが前提としてあるわけだ。

これはどういうことかと言えば、たとえ、誰かを恨んだり、いなくなってほしいと思ったり、嫉妬の気持ちが湧いたとしても、それは、本当の自分の奥にある願いではないことを知っておくということなのだ。

それは、いわばダミーなのだ。

そこだけ見ると、自分はなんてひどい人間なんだ、となってまた自己否定に入ってしまいがちだ。

でも、本当の本音の部分はその先にあるわけだ。

本音は、ズバリ。もっと私のことを私にわかってほしい。もっと私の望みを実現させてほしいのだ。

例えば、○○さんが仕事で活躍していて、妬ましいと私が思ったとしよう。

それだけ見ると、私って性格悪いな、で終わってしまう。

でも、実はそこが核の部分ではないのだ。

その先に「私ももっと活躍したい、私にだってもっとできるんだ。私が活躍できる場を作ってよ」と自分に対して訴えている私からのラブレターなのだ。

このことを自覚するようになって、私は自分の一見汚い心を見るのがこわくなくなってきた。

むしろ、そういう嫉妬には、私の可能性が詰まっているということなんだ、と良いこととして受け取れるような感じさえする。

こういうことがわかるにつれ、自分ってどれだけ自分の心の叫びをないがしろにし、自分を低く見積もって無限にもっているであろう可能性を潰していたのかな?と気づけた。

だからこそ、これから先は、「あなたの願いを叶えるよ」と自分に対して言ってあげようと思う。

「私にとってこの宇宙で一番大切な人はあなただよ。」(いつも他の誰かではなく、自分の気持ちを一番にわかってあげること)

「今までずっとがんばってきたあなたを私は必ず幸せにしてあげるよ。」と言うようになった。

自己肯定のためのポイント:自分を愛するためには、自分の一部を愛するのではなく、丸ごと全部愛することが重要。

 

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