愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

感情解放の真っただ中だったため宅配便に居留守する私

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感情の抑圧

私が数年来ずっと感じつづけてきたことがある。

それは・・

なんだかしんどい、なんだか息苦しいような気がする。というものだ。

それが何なのか?その時は今ひとつわからなかったのだが、今思えば抑圧をしていた、という事に違いなかった。

しかし、この抑圧がなかなか解放されていかない、ということがあった。

それは、私が瞑想をしていて、その中で、「悪いことは思わないように」という指導があったから。

確かにそれは正論だと思う。

思わないに越したことはないと思う。

でも、すでに心の中に溜め込んでいる思い、または、自然と自分が思ってしまうことをむりくり抑え込むっていうのもどうなんだろう?ということを思うようになった。

ハッピーちゃんが言うには、罪悪感というのが最悪の思いらしいのだけど、思わないように、とか言われてしまうと、この一番よくない罪悪感のループにはまりやすくなってしまうということがある。

そう思うと、この、悪いことを思わないようにする、というのはよっぽどの悪人に対してかけると丁度良い言葉にも思えてくるのだ。

普通の人間は、悪いことを思うことは当然ある。

悪いことは思わないように、ということを言った人が悪い、と言っているのとも違う。

瞑想の中で、悪い想いも流す、という指導もあるからだ。

ただし、自分としては、「悪いことを思わないように」というその一言の指導というのがかなり自分を縛り付けてしまったな、ということに気づいたのだ。

わたしは案外とまじめなところもある性質をしている。

だからこそ、理不尽な父親のことも、長い間イヤとも思わず接してきた。

ただしだ、今になって思えばやはりイヤだったんだな、と思う(笑)

自分が犠牲になっていたことにやっと気づけたところがあるからだ。

当然、その相手は私を意図的に犠牲にしよう、としていたわけでもないのだと思う。

そこまで気が回らなかった、というようなところなんだろう。

現在の私は、人が何と言おうが、自分はあらゆる感情を感じていい!OK!としている。

どんな感情だって湧き上がってくること、感じることはOKなのだ。

ひとまずは感じないことには、受けとめないことには、はじまらないからだ。

自分をずっと押さえつけて、自分がずっと泣きべそをかいたままにしているということに気づいたからだ。

いい人のふりをしていたって、本当はそんなことない。

私は子どもだ、赤ちゃんなんだ。

こうあるべき、という感情をもてることなんて、めったにないわけだ。

でも、もうどんなんでもいい。私自身を置き去りにするくらいなら、いい人になんてならなくていい。

周囲の人を救っても、自分を救えないのなら、何ら意味がないのだ。

他の人は他の人が救うことができる。

でも、自分は自分しか救えないからだ。

ということで、今日なんか昼間っから・・いや、嘘をついていました。

朝っぱらから主人の出勤後に、ビールを飲んでいました。

日頃、晩酌にお酒をそんなに飲まないのに、感情解放のために、昼間に飲むということをしている今日です(笑)

そしたらね、宅急便さんが・・

でも、直前まで号泣してうなだれていて、なんやかんや愚痴っていて、それを多分宅急便のお兄さんは耳にしていたわけですよ(笑)

泣きはらした顔で出ていけるはずもないと、自分のOKを出して、宅急便のお兄さんには心の中で、ごめんね、と言って、居留守を使ったのであります(笑)

こんなところ見ると、「あ~自分にやさしくなったな」って思えます(笑)

以前ならこの行動にNGを出し、自分を責めていたと思います。

でも、今回の私は、「自分のためにこうして周囲に迷惑をかけることにOKを出す」と心の中であえてそう宣言したのです。

たしかに常識的にはNGでしょうけど、自分にとっては、数年に1回くらいの感情解放の号泣のタイミングだったわけです。

大事な邪魔されたくない場面だったのです。

もうそれだけで自分に対して問いただす必要はゼロだ!って思いました。

父なら叱るのかもしれない、

でもそんなんもうどーでもいいぜ。私は自分のちゃんと味方になってあげるんだ、と思っているのです。

これって、性善説をベースに置いています。

もともと善い人間がここまでしたいわけだから、それなら好きなようにさせてあげよう、って思って自分の味方をしているんですよね。

 

自己肯定のためのポイント:どんな時も自分の味方になるのは鉄則。自分を決して責めない。

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