愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

現実世界を自分が感じたいように見ているにすぎない

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父の姪っ子に対する対応が気になってしまう私

きのう、父が姪っ子とやりとりしている動画を見て不愉快な気分になった。

それは、姪っ子の顔が曇り、困惑しているというのに、父は相変わらずのマイペースだからだった。

以前も父が、姪っ子を動画撮影していた時、姪っ子は撮られるのが嫌で、カメラを手で払うような動作をしていた。

その時、私は見かねて父に「いやがってるんだからやめてあげて」と言った。

でも、父は「大丈夫だよ」とかなんとか言って聞くことはなかった。

その様子をなぜ私がそんなにイヤだと思ったのか?と言うと、確かに姪っ子のことを思う気持ち、というのもあるのだと思う。

でもそれは、自分も小さい時に、いやだと思うことを父にされてきた様子を連想させる情景であったから、というのが一番なんだと思った。

で、またここで父に注意をすることは、徒労にちがいない、と思って別の案を採用することにした、ということだ。

それは、どういうことなのか?というと、以下のように捉えるという方法だ。

自分の前に現れた現象が好ましく思えない場合は、その気持ちをしっかり感じる必要のある時であるからこそ、現れてくる、ということだ。

何度も繰り返し現れてくるということは、まだ自分自身がそうした自分の気持ちについて中途半端にしか感じ取れておらず自分を知ることができていないから目の前に見せられるのかもしれない、という捉え方だ。

もし、ハッキリと自分が、父のこういうところが嫌だったんだ、こうされたことは嫌だった。

父の生き方を否定するということではなく、自分はこのように生きるんだ。わたしの人生はこういう感じの人とは付き合わないようにしよう、ということがしっかり感知されればもうその現象はわたしにとって用なしとなり、なくなってしまうのではないか?と仮定してみることにしたのだ。

つまり、目の前に現れたその現象というのは、私が本当に望む人生を生きるために、あくまでその情報収集としてベストなタイミングで今現れているということだ。

このように捉えてみると、まったく違って見えるのではないか?と思った。

何も私が姪っ子に対する周囲の子育てにあれこれ監視していちゃもんをつける、ということが私にとっての本来の目的ではないのかも?ということかもしれないのだ。

人生は自分が幸せになるためにある、そう思いたいとずっと思って生きてきた私にとって、これは最適な考え方に見えるし、このように捉えることで、思うような現実を創っていくことができるとすれば、本当にそのように人生を肯定的に見ることができるだろう。

それは本当にすばらしいことだと思う。

 

すべては自分の望む人生を創るための資料としての現実なのかもしれない

結局、目の前の出来事は1つの現象なわけだが、捉え方は人それぞれなわけだ。

その現象を見て、私は自分の感じ方で感じるし、他の人はそう感じないかもしれない。

もしかすると、同じ動画を見ても「いいじーちゃんだなあ」という風にしか思わない人だっているのかもしれない。

ということは、私は私の感じたいように感じているということとも解釈できるのではないか?

私は、毎日毎瞬周囲のさまざまな現象を見る機会を与えられるのだけれど、それは自分が引き寄せている現実にちがいない。

未だ、またはその時その時で迷いは多いが、その現実をハッピーちゃんが言っているようにカタログギフトのように見て、「これは自分の生きる世界を創るのに注文するor注文しない」とカスタマイズするための材料、として見るようにすると良いのかもしれない。

その目の前で繰り広げられている望まないことにまで、いちいち首をつっこんで巻き込まれていくのではなく、「このじーちゃんのこういうのは取り入れたくないな、以上!終わり!」で、いいのかもしれない。

むしろ、そのようにして見るようにすると、自分の人生に起きてくることで悪いものってのがないように見えるのではないかと思う。

カタログギフトだったら、それはまだ自分の元には届いていないのだし。

特に感情を大きく揺さぶられるわけではなく、イメージしてみて、「やっぱりこっちがほしい、これはまったくいらないなあ」と自由にチョイスできるわけだ。

それってワクワクするではないか?

ただラインナップされているだけで、選択する権利はすべて自分にあるのだ。

そのことを自覚することによって、イコール自分の人生は自分で創る、ということも同時に実現するわけだ。

いつもいつもじーちゃんが、こんな反応をするのが不愉快だ、じゃなくて、「この感じは私の人生ではいらんわ」というだけで完了するということだ。

そんな風にともかく軽く受け止めるようにしてみると良いのかもしれない。

決して巻き込まれてはならない(笑)

結局、自分がどうしたいか?この人生の創造主は自分自身であり、どのようにクリエイトするのか?自分次第で、いかようにも創ることができるということなのかもしれない。

だからこそ、自分自身の感じ方によ~く注意を払い、自分が望む、しあわせになれる現実創造をしていくようにするということなのだ。

なんだかとても腑に落ちる。

あ~、シンプルね。私もこうやって生きてみようか、と思った。

今まで悩みに悩んだこと、なんだか、損したような気分の私であった(笑)

 

自分の望む現実創造のためのポイント:目の前に起きることは自分が生きたい人生を生きるための情報収集の場にすぎないと考えてみる。今の自分に適切な情報が集まってきて見せてもらえるため、その中で、自分の必要なエッセンスだけを取り入れる、と思うようにしてみること。

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