
何をやってもかわいい自分?
お化粧をする姪っ子
夕べは妹から3歳になる姪っ子が子ども用のお化粧道具で口紅を塗ったり、シールのピアスをつけたり、マニュキュアを塗ってうっとりしている姿が動画で送られてきた(笑)
姪っ子は本当にかわいい盛りで列記とした日本人のDNAをもつがハーフの顔立ちの美人ちゃんだ。
彼女はユーモラスな存在でもあり、見ていて何をしていてもかわいい~。となってしまう伯母である。
「ほんと、何やっててもかわいい~」と目を細める自分にふと、ああ、そうだハッピーちゃんが自分にもどこかの子どもたちを見るような目で、「何やってもかわいい~」という目を向けるようにすればよい、というのを言っていたことが浮かんだ。
ああ、これだ!
私もこれからは、「私って何をやってもかわいい」と心の中で唱えていこう、と誓ってみた。
今までの私は、自分のことを「何をやってもかわいくない」と言っていたにちがいない😢
それって、今考えてみると、本当に自分がかわいそうでたまらない。
だから、これからは、今までと逆のことをしてみようと思う。
小学生の頃のモテモテの私
実は自己評価が低い私も、一時的に自己評価が高いような?時期があった。
小さな頃は大人しめで、幼稚園へ登園するときは、「一言もしゃべらないような子だった」とよくおばあちゃんから言われていた。
たしかに、幼稚園や小学校へ入って、本当に心細く、みんなが自分より勝っているように見え、とても気後れしていたことを覚えている。
ところが、小学校3年生の時、本当に心の底から信頼できる、頼れる女友達ができた。
かわいくて、よくモテて、お勉強もスポーツもできる、オールマイティーの子だった。
その子と一番の仲良しになったことで、なんだか急に自分に基盤ができたかんじだった。
今思えば変だけれども、彼女に母親を見ていた感じすらあった、それくらい、しっかりしている感じで頼れた。
そんな存在ができると私は急にクラスでめちゃくちゃ明るい感じになった。
人を笑わせるのが大好き、というか、自分に注意を引くようなことをやりたかった。
この時、その子と私は正直めちゃくちゃモテていた。
この時の自分を思い返してみると、当然劣等感は奥深いところに抱えたままだったが、「私はステキ、かわいい」などと、自己固定の言葉を繰り返して言っていたように思う。
人って自分で自分のことをどう思うか?によってこうも大きく変わるものなのだなあと思う。
ただし、私のそうした明るい明るい時期は約2年くらいで終了してしまった。
その彼女、実はすごくしっかり見えていて心の中に何か大きなものを抱えていたようなのだ。
学校を休みがちになり、だんだんと私の心の基盤が消えてしまったのだった。
結局、今思えば彼女も私と似ているものをもっていたが故に引き合っていたのかもしれない。
自己肯定に繋げるチャレンジポイント:自分は「何をやってもかわいい」と心の中で唱える習慣づけをしていくようにしよう!