愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

父の日にプレゼントをしない娘

今年は6月16日が父の日らしい。

父の日はずっと欠かさずプレゼントをしてきた私だ。

でも、本音で生きる、ということを実践している今、自分が子どもの頃の父との関わりを思い返したり、今の父の人間性を思うにつけ、腹から怒りがあがってくる感じだ。

それで、自分の今の本音を思うと、「父の日は何もしたくない」ということがわかってしまった(笑)

だから、思い切ってやめてみようかと思ってる。

単に気分だ。それでいいや、とはじめて思えたのだ。

小さい頃から、父親の機嫌を取らなければならないと刷り込まれていたために、これまで自分にウソをついていい人を演じてしまっていたことに気づき、

やめてみようか?

と思ったら、気が楽になったのだ。

肩の荷を下ろしてみようと思う。

きっと、こういうことの積み重ねで親から奪われた自分自身のエネルギーは取り戻すことができるのかもしれない。

そして、戻ってきたエネルギーは自分自身を大切にするために使っていけるようになることなのかもしれない。

主人に話したら、「それでいいんじゃない」と言った。

主人は昔から、「家族は他人」と言っている人だ(笑)

それをいえば、私のこともそうなのだろうか?と思うと複雑な気分になるが(笑)

彼の「他人」というのは「自分とは別の人」という意味なのだそうだ・・

そういう捉え方なのであれば、家族は他人、というのも納得だ。私もね(笑)

「親だろうと、兄弟だろうと、嫌なら行かなくていいんじゃねえの?」と以前から言っていた。

そう言えば、斎藤一人さんもそう言うようなあと思う。

以前の私なら「でもね・・・」となっていたが、

なんだか疲れてきたのか?

今は「もう、いっか」となってきた。

執着を手放すということだと思う。

この選択をしたことによって、父が機嫌を損ねるかもしない。

でも、もしそんなことから絶縁されたとしても、いいか、とも思う。

考えてみたらその方が随分と気が楽だ(笑)

それによって、何かと支えがなくなって生きていかれなくなるかもしれない、などと少しよぎってしまったりもするけれど、リスクは取ろう(笑)

それが本当の自立の道に通じているのかもしれない。

失敗した、と、後になって思ったとしても、その時はその時さ。

とはいえ、今までの経験上、気が楽になる感覚があるというのはきっといい兆候に違いないのだ。

私は私を取り戻さないとならない。

色々頭で考えて体裁をどうこうすることより、今の自分の本音で生きよう!としているのだと思う。

わたしは過去の呪縛から完全に抜け出して、自分の喜びに生きたい、と思う。

 

(つづく)

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