愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

自分の望みを口にすること

スポンサーリンク

きのうもゆりちゃんオンリー

仲間との積極的な会話はきのうもなく、唯一ゆりちゃんが、落ち込みそうになると時たま出てきてくれるというかんじだった。

結局主人と仲良し状態は簡単に叶ったわけではなく、夕べもちょっとしたことから、あやうくけんかになりそうになった。

私たちが今やっているYouTube動画を母親が見た、見ない、ということがきのうの話題だった。

けんかにならずに済んだ要因としては、彼が何か言おうとしたもののの「やめとく!」ととどまってくれた判断があったからかもしれない。

これまでの経緯があるため、主人もさすがに考えたようだ。

でも、お互い話さないまま、押し込めたままでいる感じというのもそれはそれで居心地の悪さというのは残ったままだった。

話さない間も、なんとなく携帯を見るような素振りをしつつも、お互いにスッキリしていない感じがあった。

私はともかく内観していた。

一番気を付けたのは、彼が何を言おうと、自分を責めないことだった。

「自分は悪くない」と思うことを徹底しようと必死な私だった。

それは別に彼が悪い、と言っているわけではない。

人に強く出られると、自分が悪いんだ、と思うクセが自分にあることを自覚しているからこそ、そんな自分を克服したいからだった。

たとえ、彼の思ういわゆる親に対する好ましい態度を取ることができていないとしても、少なくともあの時の私は悩んだ上での決断として、そのような態度を取ることを決めて動いた、という自負があった。

だから、彼が「それは、こうした方が良かったんじゃないの?」と私を軽蔑した目で見ようとも、いいのだ~、と思うようにがんばった、ということだ。

結局、この話題は最初の時点からして、その時の私と母親の状況が彼に正しく伝わっていなかったため、彼との会話で起きたギクシャクだったことがわかり、彼も納得したのだけれど。。。

「それならわかる。」と最後着地した。

まあ、私としては、今回のことはさておき、夫という立場の方には妻にあまり厳しい目は向けないでいただきたい(笑)

人間、そんなこともあるさ。という感覚で、できれば常に妻の味方目線でいてくれれば、と思うのだ(笑)

あなた、一体誰の味方となることを誓って、私と生涯の伴侶になることを決めたんですか?って言いたい気分、というのが本音かも(笑)

女性の多くはどんな自分も愛して受けとめてくれるそんな器の大きなステキな男性をずっと愛していきたい生き物ではないかと思う。

パソコンの向うで奥様方はきっと激しく共感してくださっているにちがいないが、なかなかかみ合わないのが、男と女の常でもある(笑)

大人の女性としては、そのことも認めて生きなければ・・(苦笑)なんて、表面的には言ってみる(笑)

で、ゆりちゃんがきのうも落ち込みそうな時に時々、「あっこちゃんはすばらしい、あっこちゃんはいつも愛されている存在。あっこちゃんは大丈夫」と声をかけて励ましてくれていた。

あと、寝る前もゆりちゃんが「今日もあれこれ、よくがんばったね。よくがんばったよ。」と言ってくれるのであった。

ゆりちゃんは私の女神なのかもしれない。。ニヤニヤ

 

自分の望みを口にすることが理想の未来を創るエネルギーを生む

今朝は、なぜか桂三枝さんが出てきたなんか変な夢を見て気分が悪いという状態で起きた。

夢を見て気分が悪い状態って一時的なものだったりするのだけど、なかなかリアルだから、私の内側ってこれから先もこんなしんどい感じなの?とちょっと不安にもなった。

ただ、朝の瞑想をすると、だいぶスッキリした。

それから、お気に入りのハッピーちゃんの動画を見ると、参考になり実践できそうなことを言っていたので、早速やってみることにした。

この方法はとってもシンプルでパワフルな感じなのだ。

その方法とは、自分の望みを口にする、というものだ。

書くのもいいらしい。

この時、厳密な注意点があるので、これはしっかり示しておきたい。

自分がこうなりたい!ということを、「私が○○になりたいと願う」という言い方はNGなんだそう。

そうではなく、「私は○○であることを望む」という言い方をしなければならない。

この2つ、同じようなことに見えて、心の中で唱えて見た時や、実際に口に出して言って見た時のパワーが断然ちがってくる。

私自身、試してみると本当にそのように実感したのだ。

もう少し詳しく今度は具体的な例をあげて説明してみたい。

たとえば私がいつも自由な心でいたい、と願っていたとする。(実際そうなのだが 笑)

それを前者に当てはめると「私はいつも自由な心でいたいと願う」となる。

後者に当てはめると、「私はいつも自由な心であることを望む。」となる。

前者と後者では、心の中でも声に出してでも言った時のエネルギー具合が大きく違う。

もっとわかりやすくするためにもう少し細かく分けて見ていこう。

前者の一文をかみ砕いてみると、『私はいつも自由な心でいたい』という部分と『と願う』という部分に分けることができる。

この2つの言葉、実際に言ってみると感じていただけるのではないかと思うのですが、「いたい」、「願う」という語尾が両方ともふわっとしている。

後者の場合も、まず2つに分けてみると、『私はいつも自由な心である』という部分と『ことを望む』という部分に分けることができる。

この2つの言葉では語尾が「ある」と「望む」であり、両方ともなんとなく言うと地に足がつくような感覚がするのではないかと思う。

だから、自分の願望は後者に当てはめることで、その言葉に力がこもり、現実に望む状態を創造するために必要なエネルギーが生み出されるというのだ。

これには納得できた!

私もこれからどんどん、色々と際限なく無限に、自分の望みを今後事あるごとにあげていきたいと思う。

制限は設けなくていいのだ。

神は私たちに創造のエネルギーを聖なるエネルギーとして与えており、私たちの中には無限の力があるためだ。

望んだ時点で完了だ。

なぜなら、その時、ふわっとしたエネルギーが創造されること、自分の中から放たれることに意味があり、せっかく出た創造のエネルギーをこれまでの私たちのように、自分にはムリであるなどストップをかけないことが重要だからだ。

高望みをしてはらない、とか言う言葉はそうした私たちの神的力を否定することと同じであるという話題も出ていた。

この方法を使うと、普段の生活のネガティブな場面に出くわした時でも、それを逆手に取って自分の望む未来を作るのに役立つのだ。

例えば、きのうの主人とのいざこざにも使えるわけだ(笑)

きのう起きた状態から望みを書き出してみるとすれば・・

「私はいつも幸せであることを望む」

「私はいつも自分が尊重されることを望む」

「私はいつも満たされていることを望む」など、色々と出てくる。

今までは、ネガティブな事態があると落ち込むんでから回復までに時間がかかっていたかもしれない。

でも、この手法を使えば、自分は今のような状態がイヤことがわかったので、じゃあ自分はどんな状態を望んでいるのか?と切り替えることができるため、逆にネガティブを良い人生を創るための材料にすることができるというものだ。

それって、めっちゃ希望ではないか?!

ハッピーちゃんありがとう💛

あ、ただし、人が自分の思うようになるように、というのはムリなことと捉えておいた方が無難だと思います。

また、人の不幸を願ったりするというのは✖のようですね。

これはそもそも、そういうことを望んでいる状態の自分だと、自分には力がない、という視点が出発点になっているから、ということなのです。

人が幸せになると自分は幸せになれない、という発想自体が、奪い合わないと幸せになれない、という考えから出てくることに気づくことが重要です。

これだと、自分が無限の豊かさの源泉をもっている、という状態とは大きくズレちゃってるからです。

だから、もしあなたが誰かに嫉妬した時には、その時の自分が何か不足な状態を感じていると気づくのに活用するのです。

そこから自分が何を望んでいるのか?を明確にしたら、先ほどの言い方で自分の願いを望むようにしたら良いということです。

前に、ハッピーちゃんが言っていたのだけれど、人の不幸を願う心、というのは「自分へのラブレターだ」と。

例えば神社で、もしかしたら、「○○さんが不幸になりますように」と願う人が世の中にはいるかもしれない。

けれども、人の不幸を願う人はいても、自分の不幸を願う人っていなくないですか?という事を言っていました。

ということは、人間とは性善説ではないか?と。

人は自分が満たされていない時に限って人の不幸を願うんだ、ということです。

そんな風に思うと、自分をいやな人間だな、って思わなくてすみますよね?

また、そんな人を見た時にも、「ああそうなんだ。何か満たされていないんだね」と優しい気持ちを向けることだってできそうです😊

だから、そんなときには、きっと何か自分の内側が「もっと幸せになりたいよ」と自分に対して愛を叫んでいる状態と捉えると良いと・・。

この考え方激しく同意しました。

なるほどなあ、と納得できました。

こういうことを知らないでいるうちは、いい人間でいないと、と思いのあまり、良くないような感情が湧いた時に、見て見ぬふりをし、蓋をしてしまったりしがちではないかと思います。

そうなると、自分がしんどくなっちゃうし、ほんとうの望みがいつまでも見えてこなくなっちゃうにちがいありません。

だから、湧いてくる感情はありのままジャッジすることなく受けとめるのが良いと思う。

問題となるのは、そこからです!

そこから、自分を見つめて、もっと自分を幸せにしてあげることなんだ!

そう思うんです。

(つづく)

 

-日記