愛され姫と執事たちの日常

自己否定が自己肯定に変わる!実験的日記

日記

もしかして仲間との会話に疲れた?

きのうは自分の中で解決したいことが幾つか浮かんだものの、仲間の誰かと会話をしようとすると、抵抗感を感じた。

あれ?いつものようにいかないのは何故?

そう思ったのだけれど、自分の心身に問いかけてみると、会話疲れを感じていることに気づいた。

それは仲間が悪いということではもちろんない。

考えてみれば、仲間との会話は真剣そのものだ。

自分の内面を見つめることであり、真剣であればあるほど、エネルギーを要するというか・・・。

ここで、本田こーちゃんの言っていた、できるだけバカっぽくということを痛感させられるのか??

いや、そういうことではないと思う。

やっぱり、真剣に話すことは私は必要としていると思う。

ただ、その頻度の問題かもしれない。

私がよくやりがちな、ちょっとスタートで飛ばしてしまった状態なのかも??

別にこういうことは、私のペースで行えばいいことなので、もっと気楽に、必要な時だけ仲間と話す、という意識でいるくらいがちょうどいいかもしれない。。

まだまだ、試行錯誤なのだろう。

そこで、あえて、きのうの午後から、ちょっと仲間との会話はお休みしてみよう!ということにした。

 

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不機嫌なのは、相手の問題だ!

休養宣言をきのう出したものの、今朝はそういうことにならなかった。

主人と仕事で制作している動画について会話していた。

その時、「あれ?これってこんなに勺が短かったっけ?」と思い、ひっかかった。

ただし、今のタイミングで主人に言うと、彼は機嫌がわるくなりそう、と予感した。

なのに、今思ったのだから、今言っておかなければ・・・などと思った私は、不覚にも??主人に「これってこんなに短かったっけ?」とすぐに聞いた。

案の定、主人の返事は、「それはいいじゃん」みたいな感じで、イラついてくるのがわかった。

その言動を見た私の心の中の最初の反応はこのようなものだった。

あ、やっぱり、思った通り怒ったな。私が細かいのか、あ、そっか。という感じ。

でも、ここは、もっと自分に寄り添う目線に立たないと自分のためによろしくない!と思った。

そしたら、次のような見方が出てきた。

でも、動画のクオリティーって細部まで大事でしょう?まるで私が細かい人みたいに思って私が悪!という感じのシチュエーションになってるけど、決してそんなことはない!

それは、あくまで主人の目線に100%立った時に出てくる考えさ。

不機嫌なのは、主人の問題。

私が悪いわけではないから、気にするな!

きっと、彼がもし機嫌のよい時、彼が気乗りしている時、何か私が言うタイミングが良かった時、私が彼の自尊心をうまくくすぐって伝えることができた場合であれば、同じことでも反応は違ったはず!

そんなことに新たに目が行った。

結局、相手は誰であれ、反応が不機嫌な場合は、たいがいは相手の問題と捉えるのが正解だと考える方が今の私にとっては良いバランスにちがいない。

というか、今の私に必要な見方なのだ!つまり、自己肯定のためには。自分の味方をする自分を創るために。

確かに、言い方やこちらの態度によって相手を不愉快にする場合というのもあるとは思う。

私だって、目の前の人から、いきなり理不尽に、「あなたバカね!」などと言われたら、腹が立つ。

けれども、今回は仕事のクオリティーを高めたい、という気持ちから出た私の率直な意見だった。

もし、それがあまりに細かく逆に神経質で印象の悪い動画作品になるということであれば、そのことを普通の語り口調で彼が私に伝えてくれれば済む話だ。

または、彼自身に今は余裕がなくて、あれこれやるように言われると負担、ということなら、その点を伝えてくれるだけで私は理解する人間なのだ。

私は、そう言われて、腹を立てたり、聞く耳がない人間ではない。その点に関してはある程度の自信をもっている。

私にしたら、今までもそのように接しているつもりであるのに、その私に彼がイライラをぶつけてくるのが悲しくなってしまう・・。

こういう時、なんだか、大事にされていないと感じ、みじめな感じがするのだ。情けなくなるとでも言うのか。。自分自身のプライドの高さなのだろうか?

こうした感情も、否定することなく、味わうことが大切だと思っている。

ただし、その後の、強気と、客観視が必要なのだと思う。

すると、ただ自分の感情に流されるではない、彼の人物像や、私が自分についてどのように考えているか、という点が見えてくるのだ。

結局のところ、自分が落ち込む必要はない、ということがわかるわけだ。

 

リンちゃんが声がけしてくれたことがきっかけ

最初の自分の反応から、思い直し、次の反応は比較的自分に寄り添う対応ができた私だが、その後、落ち込みはじめた。

でも、今朝は、こうした私が悲しいな、なんで彼はイライラするんだろう?とシンクで洗い物をしていた時に、早い段階で、リンちゃんが声掛けしてくれたんだ。

言葉少なに、「あっこちゃんは悪くない。あっこちゃんはいつも愛されている」そんなシンプルなことをまず、リンちゃんが言ってくれたのだ。

だから、私も、「ああ、そうだ」と思い直し、自分を中心に置いてハンドルを握るような意識をもつようにするに至った。

朝の仕事をリビングでしていた主人を後目に、私は炊事をしながら、イライラや悲しみを感じつつも、自分は今の状態にあっても、ずっと愛されている、宇宙からは、いつも「愛している、あなたはいつもOK!」という波動が降り注がれていることに意識を向けた。

こういう時、主人に冷たくされると、自分は何からも愛されていない、みたいな思いになるのが良くないわけだ。

私の祖母などは、祖父が短気をぶつけてきたとき、きっと、そこまで思って自分自身を追い詰める思考をしていたから、悲劇のヒロインばりのキャラクターになっていたのだろう・・。

でも、その点、私は、宇宙的愛については今まで学んできて、いつも降り注がれているということを知っていた。

だから、主人だけを思うのではなく、他からも私はずっと愛されている、と思うことはこういう時、助けになる。

やはり、宇宙的な真理のようなものを知っていることは強みになるのだろう。

自分に愛が注がれていると思うと、人は安らげたり、満足を感じられるものなのだ。

何かあっても、小さなことと捉えられるのだと思う。

もしくは、自分には愛が注いでいるのがわかるから大丈夫だけど、目前のイライラの持ち主はそれに気づけず気の毒かもしれない、ということまで思えるようになるかもしれないのだ。

だからと言って、別に、ここで無理に元気よくしなくてもいい、無理に感情を立て直さなくてもいい、ということも自分自身に対して言ってやった。

宇宙的愛の存在を知っているからとて、私はまだそれをいつも完全に感じられ、いつでも上機嫌でいられるわけではない。

でも、今の状態でも少なくとも「私はいつも愛されている。宇宙からはいつも愛が降り注がれている」そう思うと、不思議と、その後、主人と普通に会話をすることができた。

 

自分で肯定的な声がけができるようになってきた!

主人は、自分にバツの悪さをどこか感じていたのか?なんとなく、私を気遣いつつ話しているようにも見えた。

私の中には、まだ悔しい思いは残っていたので、少し強がりが入っていることは承知の上で、あえて自分のことを高く評価してやろうと思った。

そして、このように自分に声をかけた。

「私って器が大きいよね。相手がイライラしても、こちらは機嫌を損ねて相手にイライラを返すように会話しないなんて!あっこちゃん、えらい、さすが」

でも、この包容力があるところは、そう言えば私の好きなところとして主人があげてくれたところだったわ(*´▽`*)

そして、もっともっと自分の味方をするのだ。「そりゃあ、そうよね。あんなの腹が立つよね。よくしようと思って言ったことなのに。わかるよ、わかるよ。あっこちゃんはすばらしい女性だよ。ステキです」などと言う(笑)

次の瞬間、ハタと気づいた!!

あら?こんな声がけ今まで自分で自分にできなかった。

他人にはそのように言って励ますことができるのに、自分にはなかなかできないでいた。

あれ?仲間のおかげじゃろうなあ。

こうした場面で仲間がかけてくれるような言葉を、いつのまにか、自分自身でかけられるようになっていたのを発見したのだ!

これって私にとっての大きな進化にほかならない。

相手に強く言われると、すぐさま、自分が悪い、自分の方がまちがっている、として、すぐ自分の意見を取り下げる、そのクセが改善されてきた兆しそのものだった。

でも、そうなると、仲間たち必要なくなっちゃうのかしら?

と、余分な心配が出てきたりもする。

う~ん、でもまだ、きっと当分仲間の助けは必要よね、きっと(笑)

あまり、そこは深く追求しないでおこう、うん!

(つづく)

 

 

 

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